8っち。の望む! いつでも海幸生☆彡

釣り(ショアジギング、フカセ釣りなどなど)して海の近くで暮らしてます。

じいちゃんとの思い出①幼少期の海と俺

先日、じいちゃんの33回忌があった。
じいちゃんが急逝したのは俺の高校入学式当日。
式典が終わり教室へ戻るといきなり担任から呼ばれた。
何事?俺、なんかしたか?

すると担任から聞かされたのはじいちゃんの不幸・・・。
親が迎えにくるから帰宅の準備しろと・・・

迎えにきたのは親戚の兄ちゃんだった。

親が来ると言ってたのに親が来ないのは何でだ!?

「嘘つき!」と怒りを感じ、この怒りを親にぶつけたい気持ちだったこと、

また、嘘つくなら「じいちゃんが死んだことも嘘であってほしい」という願望があった。

でも、親が来られないほど重大!

「じいちゃんが死んだのは本当!」ってことを心のどこかで感じていたが、

まだ若干16歳の俺にとっては素直に受け入れられるわけはなかった。

受け入れられなかったが、車の中では涙が止まらなかったことを覚えている。
もちろん葬儀やら何やらで学校は休むわけであるが、

あとから友達から聞いた話では、入学して早々に来なくなったんで、

バックレ退学野郎と思われたそうな!(汗)
まぁ、しかし、この休みができたから、

入学前のやってなかった宿題を片付ける時間がとれたことは内緒です(^^;)。
そんなじいちゃん、生前は海産物問屋(主に天草)をやっていた。

その昔、若き頃のじいちゃんは7~8人兄弟の次男。

もちろん地元に生きるすべは主に漁。

当時は天草漁も盛んであったが、漁村ならではの掟ももちろん存在していた。

というか、このたび漁業法が改訂されたが、

その根本となる、よそ者には漁はさせない!という決まりが存在する。
次男であるが故に、近くの漁村に赴くことになるのだが、隣村でもよそ者はよそ者!

その土地で天草漁をするためには、その土地の者にならなくてはならず、

若くして養子にだされることとなり、じいちゃん方の親戚でうちだけ名字が異なる。
まぁ、その後独立して生まれた村に帰ってくるのであるが、

そんなじいちゃんは漁が好きだった。

というか、じいちゃんがしていたことをいろいろ教えてくれた。
じいちゃん子だった俺は、物心つく前から漁の楽しさを教えられていた。
記憶の残っている中では、

家の裏の小川でのタモ網(ふせタモ)使った鮎獲り、

バシャー(手長エビ)、ガズー獲りからはじまり、

鮎釣り、ウナギの穴釣り、もじり仕掛けなどなど。

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そんなある時、一つの事故が起こることになるのであるが・・・Σ(゚Д゚)

(次回へ続く)